結城

別名-  付近住所 岐阜県安八郡安八町西結 現在 結神社
2012/4/2 案内板アリ


日比野氏  高田二郎兵衛の館がここから南西700メートルの地にあったと伝えられております。
 一説には、斎藤道三の家臣で六人衆と呼ばれた大将格で重臣の日比野下野守清實が天文年中(1532-55)結城主として三千貫を領して住み、東結入方の津島神社の社殿や社領を寄進したりしましたが永禄4年(1561)5月、織田信長と森部で合戦し大垣城主長井甲斐守衛安とともに討ち死にし、斎藤軍は敗走しました。
 このときの兵火で城や、津島神社の社殿は焼かれてしまいました。

結神社と織田信長
 天正2年(1574)信長は長島の一向宗を焼き討ちしました。
 しかし、まだ東は武田勢、西には一向宗の反抗勢力があり、翌天正3年、長篠の合戦、越前の一向宗を撃つ前に、この結神社に、七日間の戦勝祈願をしたと言われています。
 その後、信長は天下を取ることになる縁起のよい祈願でした。
 
        


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